2023/02/01
福野中部まちづくり協議会主催の「福野昔ばなしを聴く会」が1月29日(日)、福野産業文化会館で開催されました。
講師は大塚保夫さん(新町)と西村忠さん(上町)。福野の歴史を拝聴する貴重な機会とあって、定員ちょうどの30名が会場に詰めかけました。
大塚さんは停車場、農学校、小学校等の成り立ちや夜高祭、曳軕に関する思い出を簡潔にまとめられ、最後は「夜高節には上り・下り・引き合い・待ちの、それぞれの歌がある」として、渋い喉を披露されました。
西村さんは公園になっている「猿ケ辻」にスポットを当て、日本には地名としては他にないこと、京都御所の北東角が「猿ケ辻」と称され、塀に神猿木像が掲げられていること、戦国時代に越後の上杉謙信勢の侵攻を防止するため、小字(こあざ)「猿ケ辻嶋」一帯(現在の本福寺あたりから福野小学校前信号あたりにかけて)に厄除けライン「猿ケ辻」を設定したとの考察を述べられました。
また、昨年1月に宮中での歌会始に招かれた際のエピソードもお話しいただき、参加者はみな熱心に耳を傾けていました。
講師は大塚保夫さん(新町)と西村忠さん(上町)。福野の歴史を拝聴する貴重な機会とあって、定員ちょうどの30名が会場に詰めかけました。
大塚さんは停車場、農学校、小学校等の成り立ちや夜高祭、曳軕に関する思い出を簡潔にまとめられ、最後は「夜高節には上り・下り・引き合い・待ちの、それぞれの歌がある」として、渋い喉を披露されました。
西村さんは公園になっている「猿ケ辻」にスポットを当て、日本には地名としては他にないこと、京都御所の北東角が「猿ケ辻」と称され、塀に神猿木像が掲げられていること、戦国時代に越後の上杉謙信勢の侵攻を防止するため、小字(こあざ)「猿ケ辻嶋」一帯(現在の本福寺あたりから福野小学校前信号あたりにかけて)に厄除けライン「猿ケ辻」を設定したとの考察を述べられました。
また、昨年1月に宮中での歌会始に招かれた際のエピソードもお話しいただき、参加者はみな熱心に耳を傾けていました。